【Brand Story Vol.4】ジョン・ミューア・トレイルが教えてくれた、自分なりの山に登る理由
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「なんで山に登るんですか?」
登山を趣味にしていると、一度は聞かれる質問です。 絶景が見たい、自分を追い込みたい、日常を忘れたい。答えに正解はなく、人の数だけ理由があるのだと思います。
その答えに正解はなく、きっと人の数だけ、登る理由があるのだと思います。
私自身の答えも、以前はもっと理屈っぽいものでした。けれど、アメリカのロングトレイル(JMT)を歩いた経験が、その考えを大きく変えてくれました。
「計画」という見えない枠

JMTは約340キロの道のりを20日以上かけて歩くロングトレイルです。 巨大なザックを背負い、毎日朝から18時ごろまで歩き続ける。10日も経つと、体はトレイルのリズムに慣れてきていました。
その日も朝から、アメリカのスーパーで買ったペラペラの袋に入ったインスタント麺をジェットボイルで作り、グミを食べて血糖値を上げ、一発目の音楽は、いつものようにブルース・スプリングスティーンの『Born to Run』を聴き、出発。
当時は「全行程を歩き切ること(スルーハイク)」そのものが目的になっていました。次の補給地までの食料は限られているし、1日に歩くべき距離も計算されている。いつの間にか、自分自身で立てたはずの計画を「こなす」ような毎日になっていたのです。
そんな中、目の前に息を呑むような美しい情景が現れました。 雄大な山容の前に広がる草原。その中をさらさらとせせらぐ川。 直感的に、「自分はここが、どうしようもなく好きだ」と思いました。
「ここにいたい」という本音

気づけば、私は自然とザックを下ろしていました。 何をするでもなく、ただぼーっと景色を眺めながら、「こんなところに泊まれたら最高だろうな」と独り言が出ていました。
けれど、次の瞬間にブレーキがかかります。「いや、今日はあと数マイル先まで行かなければならない。計画が狂ってしまう」と。
そこでふと、違和感が芽生えました。 「なぜ、私はここに泊まれないのだろう?」
理由は簡単でした。「計画があるから」です。しかし、そもそもこの計画は誰のためのものなのか。 冷静に食料を計算してみました。ベアキャニスター(食料保管容器)を開けると、シャリバテを恐れて多めに持っていた炭水化物が十分にある。釣り竿も持ってきているから、もし釣れればタンパク質も補える。
体力的にも、これまでのペースを少し上げれば計画の遅れは取り戻せる。 ……だとしたら、ここに泊まれない理由なんて、どこにもない。
「泊まろう。ここで泊まらなければ、何をしにここまで来たかわからない」
自分の感情に、正直になるという贅沢

泊まることを決めた瞬間、得も言われぬ昂ぶりが体を駆け抜けました。 客観的に見れば、ただ予定より手前でテントを張っただけのことです。
けれど、当時の私にとっては、それは大きな転換点でした。 歩き切ることを誰かにひけらかすためでもなく、計画という正解をなぞるためでもない。自分のもっとここにいたいという、剥き出しの感情に正直になること。
絵画のような絶景を正面にテントを張り、釣りに興じました。ついに食べ頃のレインボートラウトが釣れ、火を起こして食す。顔を上げれば、また絶景。コーヒーを淹れて本を読み、夕食のために再び竿を振る。
それは、私の人生の中でも最高の1日でした。
答えは、自分の中にしかない

この経験で、私なりの「登る理由」が見つかりました。 それは、目標を達成すること以上に、心が動く瞬間そのものを味わうこと。そして、すべての決断を自分で行う心地よさに浸ることです。
もちろん、これは私の解です。頂上を目指すことに情熱を燃やす人もいれば、ただ山で昼寝をしたい人もいる。山は、そのすべての理由を受け入れてくれます。
Ash Trailが、本格的な性能を備えながら街にも馴染む姿にこだわる理由は、そこにあります。
「今日は山頂へ行かず、河原で読書をしよう」と決めたとき。
「予定を切り上げて、街の喫茶店で余韻に浸ろう」と決めたとき。
どんなあなたの決断にも、違和感なく寄り添える服でありたいと思っています。
自分の足で、自分の人生を歩く人のために

衣食住のすべてを背負い、自分の決断一つで、進むことも留まることも選べる。 そんな自由を知っている大人たちへ。
私たちは、単なるギアを提供したいのではありません。 あなたが、あなた自身の感情に従って、人生という道のりを最高に楽しんでほしい。
次に「なんで山に登るんですか?」と聞かれたとき。 あなたがあなた自身の言葉で、迷わず、答えられるように。 AshTrailは、その歩みを支え続けます。